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PBN No.141コラム「チャコ地方、ドイツ系移住地”Loma Plata”」

 かつては海底であったが、アンデス山脈形成の際に噴火で陸地になったと言われているパラグアイの“チャコ地 方”。そこには、緑に覆われるパラグアイ東部とは、また違う環境が広がっている。今回はそのチャコ地方を代表するドイツ系移住地の一つ、”Loma Plata”を紹介する。

Loma Plata:

 1929 年頃、ソビエト・ロシアに住んでいた、メノニータ(メノー派キリスト教徒)の人々が、第一次大戦中に国を出て、カナダを経由してブラジル、パラグアイに入ってき

た。”Loma Plata”は、チャコ地方にいくつかあるメノニータ移住地の中で中心的な居住地で、当時、約 2,000 人が移住してきたという。

メノニータについて:

 ドイツ系のメノー派キリスト教徒(プロテスタントの一派) で、農牧業を基本に、自給自足で無駄のない生活を送 り、反消費社会を営んでいる。そしてなにより平和主義 で、戦争の参加を拒否している。現在は、昔からの伝統的な生活を重んじる保守派と、近代的な生活を取り入れている進歩派などに宗派が分かれている。

 メノニータ移住地の特徴の一つとして、統率された社会 がある。農協が主体となり、病院、学校、そして道路のイ ンフラやセキュリティーシステムまでを社会機構を、独自 に構築してきた。

 また、チャコ地方は、年間降水量が非常に少ないため

(チャコ南部:1,000mm、チャコ北部:600mm)、雨水による貯水システムが徹底されている。

住宅の屋根の雨樋を見ると、全てが、地下の貯水槽へ通じる管で、集水・貯蔵されている。また、農地の至る所 に見られる丘状型に盛り上げられた貯水池が、地域に独特な風景を作り出している。

先住民・グアラニー族との共生:

 メノニータ居住地の繁栄の一つの鍵として、グアラニー 族との共生がある。彼らは先住民を排斥せず、仕事を与え、ともに生きる道を歩んできた。

かつてパラグアイ南部で発展したイエズス会のミッショ ン(宣教師村)においても、グアラニー族との共生が鍵となった。

現在でもその様子は Loma Plata の街で見られ、農協経営の各工場では、従業員として多くのグアラニー族が働いている。

 チャコ地方には日本人居住地もなく、交通アクセスも難 しく、なかなか訪れることが難しい地方だが、機会があれば、このような彼らの歴史や、生活環境に目を向けてみてはいかがだろうか。JA

多くのグアラニー族の人々も働いているTrebol(乳製品)工場

移住当初の移住者の住居

チャコ地方を代表する木の一つ、パロ・ボラッチョ

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