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PBN No.225コラム『パラグアイの経済を支える最先端の産業都市 CAMPO 9』

 現在、コロナウイルス感染症のクライシスで、世界中で経済活動が大幅に縮小されているが、農業と畜産への需要は、もちろん無くならない。これらの産業において、近代化と大型工業化によりここ15年ほどでトップに立ち、“CIUDAD INDUSTRIAL(産業都市)”と呼ばれるようになった町がある。その名は「JUAN EULOGIO ESTIGARRIBIA」、通称「CAMPO 9」である。

 カンポヌエベは、国道7号線上、アスンシオンから213キロ離れた辺りにある。ここは、カナダからやってきたドイツ系宗教移民メノニタの移住地である。

1950年代に数十家族のメノニタたちが入植して酪農と穀物栽培でコツコツと成長してきたこの移住地も、2005年ごろからの世界的な大豆景気に乗って急激に成長した。それから15年で、なんと商業店舗三千店、大中規模の工場が20軒もある人口4万人の活発な産業都市となった。


 経済の中心となるのは3つの農協で、同じメノニタでもカナダから来たグループ、ロシアから来たグループ、そしてメキシコから来たグループがそれぞれの農協を作り、力を合わせて発展してきた。 

 また大学が8校、銀行、ホテルやレストランなども豊富にあり、農協よりも大きな産業をもつ事業家も多く輩出されている。

 メノニタとは、ドイツやスイスから400年の流浪の旅を経て、約100年前に“安住の地”パラグアイにたどり着いた、メノー派キリスト教徒(プロテスタントの一派)たちである。信仰の自由と、自分達の独自の生き方を実践できる地を求めて世界を転々とした末、パラグアイに安住の地を見つけたのだった。


 彼らの特徴は、教会と農協を中心としたコミュニティーを築き、広い土地を持つ家族単位の農場で農牧業に従事していることである。手作りと自給自足による無駄のない生活を送り、徹底した反消費社会、循環型持続社会を作っている。平和主義者で戦争への参加は拒否し、家庭を大事にし、家族全員で農場を維持するため、どこも子供が多く大家族である。

 メノニタは、進歩派グループは地域社会に溶け込んでいるために目立たないが、保守派はどこでも人の目を引く統一したスタイルを維持している。男性は繋ぎのズボンに山高帽をかぶり、女性は手作りの長いスカートに紐でとめた麦わら帽子を被っている。

 彼等は世界中を探し、広大な土地が手に入るところを見つけると、そこの政府と特別な移住協定を結び、自分たちの伝統と主義に基づいて統一された移住地造りを行う。その移住協定の中には、完全な宗教の自由、独自教育の自由、言語の自由(ドイツ語を使う)、治安管理権の委託(国の警察を入れないで自分達で管理する)、農協による遺産管理権、兵役免除などが含まれている。

 一方、それらの特権の条件として、彼等は農業生産に携わり、国の食料自給と農産物輸出を推し進めることに貢献すること、とされている。

 パラグアイのチャコには、3万5千人規模の大変充実した3つのコロニーがある。彼等のコミュニティーでは、日常会話から教育、報道(新聞、ラジオ)まで全部ドイツ語で自分達の宗教哲学に基づいて行われ、警察も軍隊も立ち入ることのない、完全な自冶権が与えられている。それでも、パラグアイ国内で生産性の高い農協組織を運営し、食料の国内需要と輸出に大きな貢献をすることによって、パラグアイの政府と市民の両方から尊敬される存在となっている。GI


Campo9のメノニタの住宅


保守派の伝統的なスタイル


メノニタ移住者最大の企業

Johnny Hildebrandの小麦粉工場


乳製品工場LACTOLANDIA

ロングライフミルク、ヨーグルト、チーズ、粉ミルクなどを国内外に出荷している

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