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PBN No.115コラム「パラグアイの金銀財宝はどこからきたのか?(後編)」

 ここからは伝説であるが、冒険家Ñuflo de Chavezは、様々なインディオたちの言い伝えからパラグアイ河をさかのぼったパンタナルの先に“エルドラド”があることを確信し、この黄金郷に攻め入るために、5,000人にのぼるグアラニー族を招集して訓練し、時間をかけて強力な軍隊を作り上げた。

 そして、万全な用意と計画のもとに、食料用兼運搬用の牛や馬を船に積み込み、兵隊と共にパラグアイ河をさかのぼり、そして長い道のりも歩いて“エルドラド”にたどり着き、計画通り攻め入った。

 そしてみごと“エルドラド”を攻め落とし、その町にあった膨大な金銀財宝を集め、牛や馬に担がせて帰ってこようとした。しかし、その金貨財宝は牛馬に積みきれないほどの膨大な量だった。そこで、少しでも多くの金銀財宝を持って帰ろうとスペイン人たちは、グアラニー族の戦士たちにも担ぐことを強制し、可能な限りの財宝を担がせて帰路についた。それでも、“エルドラド”にあった財宝の半分を持ってきたに過ぎないと言われる。 

 しかし今まで、奴隷でもなく戦士として訓練され、今回の遠征でも激しい戦闘を経て勝利に貢献したグアラニー族の戦士たちは、牛や馬と同じように財宝を担がされたことにプライドを傷つけられた。そして、その帰り道、彼らはこれらの財宝がスペイン人にとっては大変な価値であることが判り。また、この財宝を全部スペインに持って行かれることに怒りを覚え、途中、少数だったスペイン人探検隊を皆殺しにし、その金銀財宝を奪ってしまった。

 しかし、アスンシオンに戻ったインディオ兵士たちは、金銀財宝のことは内密にし、“エルドラド”侵攻は失敗に終わり、スペイン人たちは皆殺しされ、自分たちはインディオだったので命を助けてもらい、帰ることを許されたとでっち上げた。そして、ほとぼりが冷めたころを見計らい、兵士達は隠しておいた財宝を掘り出し、遠征に行った仲間たちで分け合った。

 そしてアスンシオンでは、彼らが少しずつ売買する財宝が流通し、金銀で潤う町となった。またイエズス会に改宗したインディオたちはそれを教会に捧げたりしたので、教会ではその後、金で装飾した祭壇や十字架などがみられるようになった。

このようにして、パラグアイは金銀豊かな国になって行ったと言われる。GI

元は全部金で作られていたYaguaronの教会今では金メッキであるとされている。

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