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PBN No.114コラム「パラグアイの金銀財宝はどこからきたのか?(前編)」

前編:

 パラグアイは1811年、南米で先頭をきってスペインからの独立を果たした。当時、パラグアイは国土こそブラジル、アルゼンチンにくらべれば狭かったが、南米きっての大金持ちであった。

 実際、1811年にブラジルやアルゼンチンよりも先に独立を果たし、そして1854年には南米最初の鉄鋼所を作り、1856年にはアスンシオンで70馬力級の蒸気船を2艘建造したほか、イギリスに軍艦数隻を発注し、南米きっての艦隊を整備した。1861年には南米で先端をきり日本よりも先に鉄道も開通した、経済強国としての実績をもっている。そして隣接諸国から攻められる三国戦争となった原因は、パラグアイには多くの金銀財宝があるといわれたためだと言われる。

 しかし、ペルーやボリビアのように金山があったわけでも無く、アルゼンチンやブラジルのように広大な領土を持っていたわけでもない小国パラグアイが金持ち国になったのはどういう歴史があるのだろうか?

この疑問に対する興味深い伝説が「エルドラドの財宝略奪伝説」である。以下はMassimo Livi Bacci著作の「El Dorado en el Pantano」にある言い伝えから抜粋したものである。

 アスンシオン市が創立されたのは1537年、ブエノスアイレスやモンテビデオ、ブラジル南部やボリビアの都市よりも古く、アスンシオンを拠点としてそれらの町ができたため、アスンシオンは南米の『町々の母』と呼ばれていた。そのアスンシオンは、ラプラタ河(パラグアイ河)上流のペルーにあると言われた黄金郷“エルドラド”を見つけるための拠点として、船で遡っていけるペルーに最も近いところに、探検家たちにより作られた町であったためであった。

 そしてスペインから多くの財宝探しの冒険家たちがきたが、1558年にはラプラタ河からペルーへの探検を計画したÑuflo de Chavezがアスンシオンに到着した。GI

(後編に続く)

1856年にはアスンシオンで蒸気エンジンによる2艘の軍艦を進水。

1861年に南米で最初に開通したパラグアイ鉄道。

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