PBN No.190コラム『パラグアイ伝統音楽、グアラニア』
8月27日、グアラニアの日。パラグアイを代表する音楽家、José Asunción Flores氏の誕生日である。
パラグアイの伝統音楽はポルカ・パラグアージャと、グアラニアの二つに代表される。ヨーロッパ民謡としてお馴染みのテンポの良いポルカに比べ、ロマンティックな雰囲気が特徴的な落ち着いたグアラニアはパラグアイ独特の伝統音楽といえるだろう。
1920年代に確立されたパラグアイ特有の音楽ジャンル、グアラニアの第一人者として、多くの楽曲を残したFlores氏は、1904年8月27日、アスンシオン市のスラム、ラ・チャカリータの小さな家で生まれた。クリーニング店で働く母と、ギタリストの父、家族の暮らしは厳しく、Flores氏も家計を支えるために幼い頃から靴磨きなどをして働いていたという。そんな貧しい少年時代にパンを盗んだことから、罰則として警察音楽隊での手伝いを命じられた。それが切っ掛けとなり、音楽の才能を開花させていく。
音楽キャリアにおいて、“アスンシオン”と自らを名乗ったFlores氏、1910年に発表されたG.M.Rolón氏の詩集“Canto a la raza(民族の唄)”を読み影響を受け、多くのパラグアイ人の祖先であるグアラニー族が暮らした地を名前の一部に取り込んだとされている。
1925年、古いパラグアイ民謡であるMba'érepa reikuaaseのアレンジを通じ、新しい音楽ジャンルの確立に取り組むようになる。パラグアイ独自の情緒を表現した楽曲制作の必要性を感じ制作したのが、初めてのグアラニア曲とされるJejuiである。その後も多くの楽曲を生み、パラグアイ伝統音楽の基盤を築いた。
Flores氏のサクセスストーリー及びグアラニア音楽の誕生から、三国戦争後のアスンシオン復興に向けた人々の努力を伺い知ることができる。
しかし、1932年にチャコ戦争が勃発、Flores氏も武器を手にすることになる。以後、政治的不安定を理由にパラグアイを離れ、ブエノスアイレスへと移り住んだ。
今日でもFlores氏のストーリーは語り継がれ、アスンシオンの警察官によるJazzマーチング・バンドは各イベントで演奏を行い、人々を沸かせている。ラ・チャカリータ地区にはJosé Asunción Flores記念館もある。
植民地支配、戦争、独裁と歴史的に多くの悲しみを背負ったパラグアイが生んだ、独自の文化として世界でも知られるグアラニア音楽の美しいメロディーと独特のリズムに触れてみてはいかがだろう。TK
José Asunción Flores 作曲家、音楽家
ホセ・アスンシオン・フローレス
1904-1972
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