PBN No.182コラム『第一回・日系シンポジウム』
「パラグアイ日系社会の展望と課題」
6月20日が何の日か、ご存じだろうか。1868年のこの日、日本から集団移住者が初めてハワイに渡ったという。昨年6月に、ハワイで開催された全世界の日系人が集まる「海外日系人大会」において、「国際日系デー」が宣言された。日本から世界へ広がった、日系アイデンティティを認識し、相互理解を深めることを目的とし、この日は制定された。
移民であるアイデンティティとは何か。日本という国で生まれ、その文化を背負い、海を渡り、新たな地で暮らしてきた人々。その歴史は古く、現在、世界各地で暮らす日系人の子孫たちは、3世、4世の世代を迎ている。それでも尚、世代を超え受け継がれる「日本」。「日系○○人」という小さな枠組みに収まらない、「日系人」 という表現に、各国に生きる日系移民たちが背負う共 通のアイデンティティが深く刻まれているように感じる。
では、多くの移民が暮らすパラグアイにおける日系人の現在の状況はどうだろう。ここでも同じく、3世、4世世代が育ち始めている。日本人である私は、この世代に大きな憧れと、期待を抱いている。ルーツとしての日本、そして生まれ育ったパラグアイという国の文化、両者を持つ彼らの可能性は、底知れないと感じるからだ。二つのルーツを持つ「日系人」のポテンシャルについて、より一層考えさせられたイベントについて今回は紹介したい。
6月22日 土曜、アスンシオンにあるコンベンションセンター「Carmelitas」にて、第一回・日系シンポジウムが開催された。「パラグアイ日系社会の展望と課題」というテーマの下、パラグアイ日本人連合会とJICAパラグアイ事務所が共催したイベントには、次世代を担う若者を中心に約250名の参加者が集まった。
シンポジウムでは、サブタイトルの通り、パラグアイ各地から集まった「青年、女性、起業家」たちが、ブロック毎にスピーチを行い、その後には一般参加者とのディスカッションの時間も設けられた。
ここで共通して述べられたのは、自分は何者かという問いである。寿司か、アサードかなんて、例を挙げた青年もいたが、これは抜群の指摘ともいえる。寿司とアサド、両者を食すのが日系人である。さらに、それを独自のセンスでアレンジできるのも日系人なのである。
例えば、ハワイをはじめ全世界で愛されている「アロハシャツ」。これは日系移民が着物から作ったシャツが起源であるという説が有力である。二つの文化が融合し、新しいスタンダードとなり、ハワイの正装として多くの人に支持を受けている。
そんな新しいスタンダートを打ち出すべく、パラグアイにはない観点からこの国の市場に活路を切り開き、成功を収めた起業家たちもスピーチを行った。
女性の部門では、日系パラグアイ人女性のパワーと行動力に圧倒された。それぞれが経験してきた道のり、そこで得た感性は、言葉の一つ一つに溢れ、聞く人を引き付けた。
パラグアイと日本、今年は外交関係樹立100周年を迎える。現在7,000人以上を数える日系人は、長い移民の歴史の中で、パラグアイの経済や文化において大きな存在感、影響力を示してきたといえる。
次の100年、新たな時代をこの国で私たちがどう生きるか。 これからのビジョンを、それぞれが立ち止まり、向き合い、ポジティブに、考えを共有するこの場で語られた言葉が、参加した若く多感な「日系スピリット」を奮い立たせる切っ掛けとなれば、素晴らしいと思う。
多様性をスタンダードに。それはビジネスにおける活路であり、芸術におけるアイデアの根源ともなる。生まれながらに、そんな多様性を持つ日系人の若者たちが生み出す、新たな時代に期待を込めて。TT
写真提供:パラグアイ日本人連合会
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